「京風おせち料理」で塩干食品の底力を知る 3

やがて全ての料理が完成、プログラムは試食タイムへと進行。筆者もご相伴させて頂く事とした。調理過程を見学し、各料理を一通り試食したところで、日本料理においては『下ごしらえ』というものが大切、それが疎かになっては、どう調理しようとも、まず真っ当なものに仕上がらない、ということを感じた。
肝心の味付けは、正月期間の保存食的意味合いが強いという伝統にのっとり、比較的濃い口である。
まず、京のおせち料理の定番である『棒だらと赤目芋の焚き合わせ』は、比較的素朴な料理で、見た目もまさに「おばんざい」風。ほっこりとした、懐かしいような味わい。その他の料理は、素材のもつ風味、食感、色合いを殺さず、京ならではの繊細なもてなしのこころが感じられる。包丁目のひとつひとつにも、食する人への心遣いが込められている。
京料理に見られる味への追求とは、「もてなしの心」が形を変えたものではあるまいか。その心は、こういう形で伝統となって受け継がれてきたのであろう。
試食後、参加者に今回の催しの感想を聞いてみた。
最初は知らない人たちと一緒になり緊張もあったが、ひとつの目的もあり、やがて打ち解け楽しい一時を過ごす事ができた。『ごまめ』・『数の子』や『棒だら』など、調理が難しいと思っていたものが思いのほか簡単にできた。『紅白蒲鉾』の飾り切りなど、様々な事を教えて頂いたので、今度のお正月には是非、作ってみたい。
などなど、講習生の皆さんそれぞれ楽しまれた様子。
今回のレシピについて、味の方もやはり手作りは市販品とは違うと、一様に好評であった。
当初、今更『おせち料理』?などと考えていた筆者だったが、会場に来てみると、幅広い年齢層の参加者の真剣な受講風景に感心させられた。試食では、味付けの繊細さ、京都における塩干食材の活かされ方に驚かされた。たかが『おせち』などとばかにしていた事を深く反省すると共に、日本のおせち文化の奥深さを知らされた。
世界中から輸入された食材が店頭に並び、今、日本は食に関しては世界で最も贅沢な国と言える。通年同じような食材が出回り、季節感も薄れつつある。何もかもが望み通りになる現代の日本の食卓において、もはやおせち料理は、正月のメイン料理とは云いがたい状況であろうが、縁起物として、新年を迎えるには欠かすことの出来ない食卓の花形である。時代が移り変わり、方法や内容も変化し薄れてはいるが、それに込められた行事を楽しむ心は現代に受け継がれている。
もともと、おせち料理は年神を迎える新年の食事として発達してきた。その食材や料理に込められた意味はとても奥深く、食文化を大切にしてきた日本ならではのものだと言える。日本の風土と情緒が育んだ食文化の伝統を教えてくれるおせち料理を、これからもずっと大切にし、次代に伝えていきたい。もはや、おせちは作るものではなく、買うものと思っている方も多数おられるだろう。しかし、今度のお正月には、手作りおせち料理ににチャレンジしてみては如何だろうか。きっと今までとは違った味わいになるであろう。そこに息づく昔の人々の知恵、自然への思いの深さを感じて、“この国に生まれてよかった”──そんな気持ちがわいてくるかもしれない。尚、京都塩干魚卸協同組合の皆さん。そして主催の水産協会・京都市そして指導にあたられた京都料理専修学校の皆さんに、このような取材の場を提供頂いた事にお礼を申し上げると共に、こうした催しを通して益々の発展と伝統の継承を守り通して頂きたい。

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動乱の20世紀も後少し、21世紀は気分も新たに、良いお年をお迎えください。
それでは又、来年お会いしましょう。

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